麿赤兒と大駱駝艦の軌跡~舞踏の深淵を覗く?~「デタラメ」の中に秘められた美学とは!?
戦後日本の演劇史に名を刻む舞踏家、麿赤兒。その波乱に満ちた人生と、伝説の舞踏集団「大駱駝艦」の軌跡を、息子である大森立嗣と大森南朋が紐解く!
💡 麿赤兒は、舞踏家として、俳優として、独特の世界観を持つ表現者である。
💡 大駱駝艦は、舞踏界に革新をもたらした集団であり、麿赤兒の芸術思想を体現している。
💡 麿赤兒は、幼少期の苦難から演劇への道へ進み、状況劇場を経て、独自の舞踏スタイルを確立した。
それでは、麿赤兒さんとその率いる舞踏カンパニー、大駱駝艦の軌跡について、詳しく見ていきましょう。
幼少期の苦難と演劇への目覚め
麿赤兒の幼少期はどんな経験をしましたか?
父の戦死、母の精神病
麿赤兒さんの幼少期は、想像を絶する苦難だったんですね。

✅ 大駱駝艦の若手育成について、麿さんは「深く考えていない」としながらも、若手による「壺中天」シリーズを通して、彼らが培ってきた経験や感性を試す場を提供している。
✅ 若手は麿さんの振付けを踏襲しつつも、独自の表現に挑戦しており、振付け、美術、照明、音楽など、作品全体の構成を自分で選択するセンスが問われる。麿さんは彼らの作品から学び、若手との世代間交流の場ともなっている。
✅ 麿さんは舞踏のスタイルについて、明確な定義はないとしつつ、自身を含む舞踏家それぞれに独自のスタイルがあることを強調。自身のスタイルは「デタラメ」と表現し、それは確率的な偶然性の中に美を見出す方法論であり、ふざけた中に真髄が隠されていると説明している。
さらに読む ⇒Performing Arts Network Japan出典/画像元: https://performingarts.jpf.go.jp/article/6876/麿赤兒さんの言葉からは、困難を乗り越えてきた強さと、演劇に対する熱い情熱が伝わってきます。
麿赤兒は1943年生まれ。
幼少期は父の戦死と母の精神病という辛い経験を経て、叔父夫妻のもとで育ちました。
中学時代は演劇部を立ち上げ、部長を務め、戯曲を読み耽る日々を送っていました。
この頃から既に、周りの人の信用を得るほどのカリスマ性と、演劇への強い興味を持っていたことが伺えます。
麿赤兒さんのようなカリスマ性と、演劇への強い興味を持ちたいです。
演劇への道、そして状況劇場との出会い
麿赤兒はどんな道を歩んできた?
劇団、大学、政治活動と渡り歩いた
状況劇場は、当時の演劇界に大きな衝撃を与えたんですね。
公開日:2024/05/16

✅ 状況劇場を結成し、演劇界に激震を起こした唐十郎さんが亡くなりました。
✅ 麿赤兒さんは唐十郎さんを「魔法使い」または「悪魔の子」と表現し、その独自の美学を振り返ります。
✅ 麿赤兒さんは唐十郎さんの美学を「端正で卵のむき身のようにきれい」と表現しています。
さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/DA3S15935618.html唐十郎さんの美学は、独特で魅力的ですね。
高校卒業後、麿赤兒は上京し、早稲田大学第一文学部哲学科に進学しますが中退。
その後、劇団「ぶどうの会」に参加しますが、政治的な内容に馴染めず脱退します。
新宿の喫茶店で唐十郎と出会い、状況劇場を立ち上げますが、唐十郎の脚本の長台詞に嫌気がさし、1970年に状況劇場を離れます。
麿赤兒さんのような多様な経験を通して、私も教養を深めていきたいです。
大駱駝艦の誕生と舞踏の世界への挑戦
麿赤兒が旗揚げした舞踏集団は?
大駱駝艦
大駱駝艦の創立は、日本の舞踏史に大きな影響を与えたと思います。

✅ 大駱駝艦の40周年公演について、麿赤兒さんは、40年の長さはウィルスの歴史からすると大したことないとしつつ、海外公演での自信、作品を作る上での苦労、そして生き物への愛おしさを語っています。
✅ 舞踏の身体について、麿赤兒さんは、環境が変わってもプリミティブな部分は変わらない一方で、舞踏では土方巽さんが昭和の日本の身体を問うたように、時代や社会に合わせて変化していく必要性を訴えています。
✅ 舞踏の本質について、麿赤兒さんは、表面的な形ではなく、生物のすべてを背負うような時間の長さを意識した身体であり、西洋的な価値観とは異なるものを模索していることを明らかにしています。そして、宇宙に対するゆったりとした微笑みに対して哄笑で答えるという今回の公演のテーマについて、ニーチェの思想や仏教の色即是空といった思想にも触れながら、その背景を説明しています。
さらに読む ⇒演劇 & エンタメ系 WEBマガジン | omoshii - オモシィ出典/画像元: https://omoshii.com/interview/4691/舞踏の世界観は、深遠で奥深いですね。
1972年、麿赤兒は舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げします。
土方巽に師事した経験を活かし、忘れ去られた「身振り・手振り」を採集・構築することで、数々の作品を生み出します。
大駱駝艦は、独自の様式「天賦典式」を確立し、1982年にはフランス・アメリカで公演を行い、「Butoh」を世界に広めました。
麿赤兒さんのように、独自の表現に挑戦したいです。
大駱駝艦の軌跡と家族の視点
麿赤兒の息子たちは何を語る?
父の軌跡と芸術
大駱駝艦の創立50周年、おめでとうございます。

✅ この記事は、麿赤兒率いる舞踏カンパニー・大駱駝艦の創立50周年を記念して、麿赤兒の実子である大森立嗣と大森南朋との対談の内容を紹介しています。
✅ 対談では、大森立嗣と大森南朋がそれぞれ舞踏との出会い、麿赤兒との関係、そして自身の仕事や創作に対する思いを語っており、特に舞踏に対するそれぞれの距離感の違いが興味深い点です。
✅ また、大駱駝艦の過去50年の軌跡を振り返る写真やメンバーからの寄せ書き、公演ポスターなどが掲載されており、舞踏に興味のある人にとって貴重な資料となるでしょう。
さらに読む ⇒ナタリー - ポップカルチャーのニュースサイト出典/画像元: https://natalie.mu/stage/pp/rakudakan_owarihajimari麿赤兒さんと大森立嗣さん、大森南朋さんのそれぞれの視点から、大駱駝艦の軌跡を追うことができて興味深いです。
大駱駝艦は舞踏評論家協会賞を受賞するなど、数々の賞を受賞し、国内外で高い評価を得ています。
麿赤兒は俳優としても、NHKの大河ドラマや連続テレビ小説、映画、ドラマなどに出演し、存在感を示しています。
大駱駝艦の創立50周年を記念し、麿赤兒の実子である大森立嗣と大森南朋が、父である麿赤兒の軌跡を振り返るインタビューが行われています。
インタビューでは、麿赤兒の仕事に対する姿勢や、大駱駝艦の独特な雰囲気、それぞれのアーティストとしての歩みについて、率直な意見が交わされています。
麿赤兒さんの仕事に対する姿勢は、本当に尊敬できます。
新作『パラダイス』と舞踏の未来
麿赤兒率いる「大駱駝艦」の新作「パラダイス」はどんな作品?
舞踏カンパニーの挑戦
新作「パラダイス」は、従来の大駱駝艦公演とは異なる世界観ですね。

✅ 「パラダイス」は、白一色の舞台装置と白塗りの舞踏手によって色彩に対する飢餓感を生み出し、光が様々なメッセージを語りかけてくる作品。
✅ 男性舞踏手よりも魅力的に見えた女性舞踏手が、原色のウィグを被ったことで観客に憧れや美しさを感じさせる瞬間が訪れる。
✅ 装置の内部を露呈させた演出は、生物標本を覗き込むような感覚を与え、従来の大駱駝艦公演とは異なる、光と色彩が強調されたパラダイス的な世界観を表現している。
さらに読む ⇒武蔵小杉で眼科をお探しなら【ひらと眼科】へ出典/画像元: http://www.hiratoganka.com/blog/?p=292光と色彩が織りなす「パラダイス」の世界観は、とても印象的です。
麿赤兒率いる舞踏カンパニー「大駱駝艦」は、新作『パラダイス』を上演しました。
本公演は、麿赤兒が構成・演出・振付を担当し、大駱駝艦メンバー総勢20名が参加しました。
インタビューでは、麿赤兒が作品への想いを語っており、大駱駝艦の独自性である「天賦典式」についてや、舞踏の世界観を表現する舞台の構想などが明かされています。
公演は、2016年6月30日から7月3日にかけて世田谷パブリックシアターにて開催されました。
麿赤兒さんのような、斬新な作品を作りたいです。
麿赤兒さんと大駱駝艦の軌跡は、舞踏の歴史と日本の文化を語る上で欠かせないものです。
💡 麿赤兒は、舞踏界に革新をもたらした人物であり、独自の舞踏スタイルを確立した。
💡 大駱駝艦は、麿赤兒の芸術思想を体現する集団であり、国内外で高い評価を得ている。
💡 「パラダイス」は、従来の大駱駝艦公演とは異なる、光と色彩が強調されたパラダイス的な世界観を表現している。