Open Possibilities Logo Menu opener

夕張支線の廃線から読み解く、地域再生への課題と可能性?夕張支線の廃線と、その後の地域社会への影響

かつて石炭で栄えた夕張。JR夕張支線の廃線は、高度経済成長の象徴の終焉を意味した。赤字と老朽化、そして「攻めの廃線」という決断は、街の姿を大きく変えた。廃線後の変化、駅の運命、そして只見線との対比を通して、鉄道の重要性と首長の決断が地域に与える影響を問いかける。夕張の過去、現在、そして未来への示唆。

夕張支線の廃線から読み解く、地域再生への課題と可能性?夕張支線の廃線と、その後の地域社会への影響

📘 この記事で分かる事!

💡 北海道夕張市を走っていたJR石勝線夕張支線が、2019年4月1日に廃止されました。

💡 廃線は石炭産業の衰退、人口減少、施設の老朽化などが原因です。

💡 廃線後の地域経済への影響や、只見線の復旧事例との比較も行います。

本日は、夕張支線の廃線に関する情報を中心に、地域再生の課題について考えていきたいと思います。

夕張支線、石炭産業の終焉と廃線への道

夕張支線廃止の決定打は何だった?

石炭産業衰退と赤字、老朽化。

126年の歴史に幕を閉じた夕張支線の廃線。

最終日の様子や、地元住民の思い、そして今後の公共交通機関への期待が語られました。

石勝線夕張支線が126年と5か月の歴史に幕…JR北海道としては2年余りぶりの廃止

公開日:2019/04/01

石勝線夕張支線が126年と5か月の歴史に幕…JR北海道としては2年余りぶりの廃止

✅ 北海道夕張市を走る石勝線夕張支線が、126年の歴史に幕を閉じ、2019年4月1日に廃止された。

✅ 廃止前日のダイヤ改正では全列車が臨時列車となり増便、最終列車は苫小牧まで運行され、最終日にはセレモニーや出発式が行われ、多くの人々が見送った。

✅ 地元住民は、鉄道の廃止を惜しみながらも、新しい公共交通体系への期待を語り、過去の汽車通学の思い出を振り返るなど、新しい時代への歩みをアピールした。

さらに読む ⇒レスポンス(Response.jp)出典/画像元: https://response.jp/article/2019/04/01/320807.html

最終列車は多くの人に見送られ、廃線は時代の流れを感じさせます。

鉄道の役割が終わる一方で、新しい時代への期待も感じられます。

1892年の開業以来、石炭輸送で夕張の発展を支えたJR石勝線夕張支線は、日本の高度経済成長を牽引した象徴でした。

しかし、石炭産業の衰退、自動車交通の発達、そして人口減少という時代の流れの中で、その役割は終焉を迎えました。

2015年には輸送密度が低下し、年間1億6000万円もの赤字を計上するようになり、鉄道施設の老朽化による改修費用の増大も、廃止へと向かう大きな要因となりました。

2018年3月23日には夕張市とJR北海道が鉄道事業廃止の覚書を締結し、鈴木直道市長(現北海道知事)の主導のもと、「攻めの廃線」が決定されました。

2019年4月1日、夕張支線は廃止され、新夕張駅から夕張駅までの区間は、その歴史に幕を閉じました。

鉄道の廃止は寂しいですが、新しい公共交通体系への期待も大きいですね。時代の変化に対応していく必要性を感じました。

廃線後の現実:変わりゆく駅の姿

廃線後の夕張支線、駅の今どうなってる?変化は?

駅の活用や取り壊し、閉店など変化が見られる。

夕張支線の廃線跡を巡る記事では、橋脚や駅の姿、そして廃線後の駅の変遷が紹介されています。

夕張支線跡 清水沢駅
夕張支線跡 清水沢駅

✅ 北海道夕張支線の清水沢駅から鹿ノ谷駅までの廃線跡を巡る様子をまとめた記事。

✅ 橋脚や炭鉱の名残、桜並木など、かつての面影を感じさせる風景や、夕張鉄道との位置関係、駅構内の広さなどを紹介。

✅ 鹿ノ谷駅の駅舎や周辺の住宅地の変遷を航空写真で比較し、廃線後の寂しさを感じさせる様子を描いている。

さらに読む ⇒にわかの日々〜廃線跡巡り〜出典/画像元: https://niwakanegon.blog.jp/archives/57591432.html

廃線後の駅の変化は、地域の衰退を象徴しているようです。

駅舎の取り壊しや、駅の利用状況の変化が印象的です。

廃止された夕張支線の沿線に残された駅の多くは、その姿を変えつつあります

2022年9月には、筆者が廃線となった全駅を訪問し、その現状を報告しました。

2022年7月と2023年8月の比較では、沼ノ沢駅では駅レストランが閉店し、2023年8月には出入口に木板が貼られるなど、変化がみられました。

南清水沢駅では、2020年にオープンした蕎麦屋「そば天国村」は営業を続けていましたが、駅舎周辺は手つかずの状態で、ホームやミラーの跡が残っています。

清水沢駅は、2022年には駅舎がありましたが、2023年には老朽化により取り壊され更地になりました。

鹿ノ谷駅は、2022年当時は駅舎周辺に会社の車両がありましたが、2023年には合同会社鹿ノ谷駅に無償譲渡され、イベント開催や夏祭りが実施されるなど、活用が進んでいます。

夕張駅では、2022年時点での旧夕張駅舎の様子が記録されていますが、詳細な記述は本文中にありません。

廃線後の駅の変化は、地域の歴史を物語っているようですね。寂しさも感じますが、変化を受け入れ、未来を創造していくことが大切ですね。

次のページを読む ⇒

夕張市の廃線は観光崩壊を招き、過疎化を加速。一方、只見線は復旧し地域活性化へ。鉄道と首長の決断が地域にもたらす影響を、事例を通して考察します。