海女文化とは?海女の歴史、仕事、技術、体験を徹底解説!伊勢志摩の海女文化:2000年の歴史と未来への探求
2000年以上の歴史を誇る三重県伊勢志摩の海女文化。素潜りで海の幸を獲る姿は、強さと自立の象徴。アワビやサザエを求めて海に潜り、伊勢神宮への奉納や真珠養殖にも貢献した。海女小屋では、獲れたての海の幸を炭火焼きで味わい、海女の仕事着を着て記念撮影も。伝統の磯笛や、地域を支える海女たちの息吹を感じ、食と文化に触れる貴重な体験を。
💡 海女は、素潜りでアワビやサザエなどの海の幸を獲る女性たちのことで、伊勢志摩を中心に約1300人います。
💡 海女文化は2000年以上も続き、伊勢神宮への奉納や地域のお祭りを支え、伝統と食文化を守っています。
💡 海女小屋体験では、獲れたての海の幸を味わい、海女文化に触れることができ、観光客に人気です。
それでは、まず海女文化の起源と歴史から見ていきましょう。
海女文化の起源と歴史
伊勢志摩の海女文化、一体どれくらい歴史があるの?
2000年以上!弥生時代から続く歴史。
海女文化の起源と歴史について見ていきましょう。

✅ 鳥羽市・志摩市合同で申請していた「海女に出逢えるまち鳥羽・志摩」が日本遺産に認定。
✅ この地域は、約2000年前から続く海女漁が行われており、海女文化や信仰が今も息づいている。
✅ 海女が獲った海産物は伊勢神宮に奉納され、海女が中心となる祭りも継承されており、地域活性化を目指す。
さらに読む ⇒ホーム出典/画像元: https://www.city.shima.mie.jp/kakuka/kyouiku/syogaigakusyusportska/japan_heritage/1558057223061.html伊勢志摩地方の海女文化が日本遺産に認定されたのは素晴らしいですね。
2000年もの歴史があるというのは驚きです。
三重県伊勢志摩地方を中心に、海女文化は2000年以上もの歴史を有します。
古代から食糧を採取し、伊勢神宮への奉納など重要な役割を担ってきました。
考古学的な視点からは、弥生時代から潜水漁が行われていた形跡があり、鳥羽市浦村の白浜遺跡からは、海女が捕獲したと見られるアワビの貝殻や道具が出土しています。
海女の名称は比較的新しいものの、1000年以上前から「潜女」という形で存在が確認されており、言い伝えでは2000年前から存在していた可能性も示唆されています。
2000年も前から海女という職業があったことに驚きました。白浜遺跡からアワビの貝殻が出土したというのも興味深いです。
海女の仕事と生活
海女の仕事の象徴は?強さと自立を象徴するものは?
自然との共存、強さと自立を示す女性。
海女の仕事と生活について見ていきましょう。
公開日:2020/05/30

✅ 三重県石鏡の海女である木村政子さんの漁の様子が描かれ、伝統的な素潜り漁が資源保護の役割も担っていることが説明されています。
✅ 海女の数は減少傾向にあり、観光客向けに海女漁体験を提供する「海女小屋レストラン」など新たな試みが始まっています。
✅ 海女の野村禮子さんや岡野みつゑさんをはじめ、多くの海女が、伝統を守りながらも、後継者不足や生活の厳しさを感じています。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/views/b02330/海女の仕事は、自然と共存し、伝統を守りながら、後継者不足という課題にも直面しているのですね。
海女の仕事は、素潜りでアワビやサザエなどの海の幸を捕獲することです。
現在、全国に約1300人の海女がおり、その半数が伊勢志摩に在住しています。
海女は、1人で作業する「カチド」と、2人で作業する「フナド」に分かれます。
彼女たちは、白い磯着(現在はウェットスーツが主流)、磯メガネ、磯桶、おもり、磯ノミなどの道具を使い、約50秒の無呼吸で作業をこなします。
海女は、自然と共存し、強さと自立を示す女性たちの象徴です。
海女の仕事は体力的に厳しく、目標達成への意識と、海女仲間とのライバル意識がモチベーションにつながっています。
また、海女の仕事を通じて、社会性や人への気遣いも学びます。
海女は、女性の身体的特性と忍耐力によって成り立っており、保温性の低い海女着で潜っていた昔の過酷な状況も語られています。
海女が採る海産物としては、アワビをはじめ、サザエ、海藻類、伊勢えびなどがあります。
海女の仕事は想像以上に大変そうです。過酷な環境の中で、目標達成への意識や仲間との連帯感がモチベーションになっていると聞き、感銘を受けました。
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海女文化と海の幸を堪能!伊勢志摩・鳥羽の海女小屋で、新鮮な魚介の炭火焼を味わおう。伝統の漁法や、海女の息遣いを感じる貴重な体験も。