「物見遊山」って何?言葉の意味と現代での使い方を徹底解説!(?)「物見遊山」の語源から現代の使い方まで
「物見遊山」とは、見物して遊び歩く行為のこと。元々は禅僧の自然を楽しむ姿を表す言葉が、江戸時代に庶民の旅行ブームと共に広まりました。現代では、気晴らしや気分転換を目的とした外出を意味し、仕事終わりに観光地へ行くようなイメージ。時に「遊び半分」という意味合いも。肩の力を抜いて、気軽に楽しむ旅を表現する言葉です。

💡 「物見遊山」は、見物して遊び歩くことを意味し、もともとは仏教用語でした。
💡 江戸時代には、宗教的な巡礼と行楽を兼ねた旅が庶民に広まり、観光旅行の始まりとなりました。
💡 現代では、気晴らしに出かけることを意味し、仕事後の気分転換などに使われます。
今回の記事では、「物見遊山」という言葉の起源や現代での使われ方について、詳しく解説していきます。
始まりは仏教、広がる庶民の楽しみ
「物見遊山」ってどんな意味?昔は何に使われた?
見物して遊び歩くこと。元は修行後の自然享受。
「物見遊山」という言葉のルーツは、実は仏教にあります。
禅宗の僧侶が修行の後に自然を楽しむ様子を表す言葉でしたが、江戸時代に変化が訪れます。

✅ 現代の旅行や観光の目的は非日常的な経験を求めることである一方、近世以前は上流階級のみが観光目的の旅行を享受できた。
✅ 江戸時代には一般庶民の移動は制限されていたが、伊勢神宮参拝などの宗教的な巡礼は黙認され、参拝旅費の積み立て制度が発展した。これらの巡礼は、寺社参詣だけでなく行楽も兼ねたものであり、これが観光旅行の始まりとなった。
✅ 京都には地方から多くの人々が訪れるようになり、名所案内記(観光ガイドブック)が多数刊行されるなど、観光需要の高まりが見られた。
さらに読む ⇒酒瓮斎の京都カメラ散歩出典/画像元: https://shuousai.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-355441.html江戸時代には、寺社参詣を口実に、京都や大阪へ遊びに行くような、娯楽を織り交ぜた旅が流行しました。
今思うと、昔から旅行と娯楽は密接に繋がっていたんですね。
「物見遊山」という言葉は、見物して遊び歩くことを意味し、「ものみゆさん」と読みます。
その語源は、見物する「物見」と、遊びに行く「遊山」の組み合わせです。
元々は、禅宗の僧侶が修行の後に自然を楽しむ様子を表す仏教用語でした。
江戸時代になると、お伊勢参りのような宗教的な目的と娯楽を組み合わせた旅行が庶民に広まり、「物見遊山」の旅も一般的に楽しまれるようになりました。
この時代には、寺社参詣を口実に、京都や大阪へ遊びに行くような、娯楽を織り交ぜた旅が流行しました。
興味深いですね! 昔の人は、宗教的な目的と娯楽をうまく両立させていたんですね。今の時代にも通じる考え方だと思います。
気晴らしの旅、現代での解釈
現代の「物見遊山」って何? 気分転換? それとも…?
気分転換を目的とした外出のこと。
時代は変わり、現代の「物見遊山」は、気晴らしに出かけること、つまり気分転換を目的とした外出を意味するようになりました。
その解釈について見ていきましょう。
公開日:2022/01/30

✅ 「物見遊山」とは、気晴らしに見物や遊びに行くことを意味する四字熟語で、もともとは僧侶の散策に由来する。
✅ 「物見遊山」は「観光」と似ているが、仕事などを終えた後の楽しみというニュアンスがある点が異なり、「観光」は出かけること自体が目的となる場合が多い。
✅ 「物見遊山」は名詞的に使われ、「物見遊山気分」という形で、遊び気分を表現する際にも用いられる。
さらに読む ⇒TRANS.Biz出典/画像元: https://biz.trans-suite.jp/29668気晴らしを目的とした外出、という点が印象的ですね。
仕事終わりに、ちょっとした旅行に出かけるようなイメージでしょうか。
現代のライフスタイルに合っている言葉だと思います。
現代では、「物見遊山」は、気晴らしに出かけること、つまり気分転換を目的とした外出を意味します。
仕事や日々の用事を終えた後、観光地や遊び場へ行くようなイメージで使われます。
類義語には、遊山、観光、行楽、遊覧などがあり、特に明確な対義語はありません。
似た言葉に「観光」がありますが、「観光」はその土地の文化や風景を鑑賞することを目的とするのに対し、「物見遊山」は、気晴らしを目的とすることに違いがあります。
なるほど、単なる観光とは少しニュアンスが違うんですね。気分転換を目的とする、という点が、現代的で面白いです。
次のページを読む ⇒
「物見遊山」ってどんな意味?気晴らしやお遊び気分を表す言葉。旅や仕事への姿勢を表現! 使い方や「観光」との違いも解説。