長島有里枝と「女の子写真」問題?作品と社会、表現の葛藤とは?長島有里枝|写真家が語る「女の子写真」とジェンダー
90年代の「女の子写真」ブームを批判的に見つめ、女性写真家の置かれた状況を問い直す。写真家・長島有里枝が、自作を「感性」で消費された経験から、フェミニズムの視点で「ガーリーフォト」を再定義。新著や対談を通して、社会的な女性像やセルフイメージのコントロールについて語り、女性による自己表現の可能性を探求する。既成概念を覆す彼女の視点に注目。
💡 長島有里枝は、自身の作品が「女の子写真」として消費されることに異議を唱え、フェミニズムの視点から写真表現のあり方を問い直した。
💡 「女の子写真」ブームにおける女性写真家へのステレオタイプな評価を批判し、自己表現と社会的な眼差しの間で揺れ動く女性像を描き出した。
💡 セルフポートレートを通して、女性が自らのイメージをコントロールし、社会的な期待に挑戦する姿を表現。「ガーリーフォト」を通し再解釈を行った。
それでは、長島有里枝さんの作品を通して見えてくる問題点と、彼女が表現したかったことについて、詳しく見ていきましょう。
「女の子写真」の誤った言説と長島有里枝さんの葛藤
長島有里枝さんは「女の子写真」ブームで何を経験しましたか?
正当な評価を受けられず、消費されました。
本記事では、長島有里枝さんの作品を通して見えてくる問題点と、彼女が表現したかったことについて、深く掘り下げていきます。
公開日:2020/03/10

✅ 長島有里枝さんは、「女の子写真」という言葉が女性蔑視的であり、若い女性を「未熟さ」や「感性」といった枠に押し込めて消費していたと指摘する。
✅ 長島さんは、自身の作品が「女の子写真」として捉えられたことで、男性中心的な価値観による誤解や偏見に晒され、正当な評価を受けられなかった経験を語る。
✅ 自分の作品が「女の子」というレッテルによって軽視され、正当に評価されないことに対する怒りから、長島さんは大切な作品を捨ててしまうという決断に至った。
さらに読む ⇒ハフポスト日本や世界のニュース、会話を生み出す国際メディア出典/画像元: https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e5cf1e6c5b601022113ffb2長島有里枝さんが「女の子写真」という言葉に感じた違和感、そして作品がどのように評価されたのか、詳細に解説します。
1990年代に流行した「女の子写真」ブームは、女性写真家たちを「女の子」という枠に押し込み、消費する傾向がありました。
このブームを牽引した写真家・長島有里枝さんは、自身の作品が技術や知性よりも「感性」という視点で評価され、正当に評価されることなく「女の子」枠に押し込められたと主張しています。
特に、男性批評家たちからは「真価を問われる」「技術のワクを超えた」など、女性としての評価が先行し、作品そのものに対する評価は軽視されたと感じています。
長島さんは、自身の作品を正当に評価されなかった経験から、「女の子」という枠組みが女性蔑視的なものであるという認識に至り、自身の作品を「語る」ことで、消費される「女の子」の枠組みから脱却しようと試みています。
長島さんの経験は、表現することの難しさを物語っていますね。特に、女性アーティストを取り巻く環境について深く考えさせられました。
フェミニズムの視点からの「ガーリーフォト」再解釈
「女の子写真」の誤解を解き、女性写真家の表現を再解釈する新刊とは?
長島有里枝さんの「ガーリーフォト」論
本書は、1990年代の「女の子写真」ムーブメントに対する異議申し立てであり、フェミニズムの視点から再解釈を試みています。

✅ 長島有里枝の著書「「僕らの」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ」は、1990年代の「女の子写真」ムーブメントに対する異議申し立てであり、批評家や編集者らによる「女の子写真」に関する言説を批判することで、このムーブメントをフェミニズムの文脈から「ガーリーフォト」として再解釈している。
✅ 本書は、「女の子写真」を称賛した批評家や編集者たちのステレオタイプ的な女性観を批判し、彼らが女性アーティストを「写真界」の他者として周縁に追いやったことを明らかにしている。長島は、彼女たちの作品をパフォーマンスアートにたとえ、第3波フェミニズムとの関連性を指摘しつつ、写真批評におけるフェミニズム視点の欠如を問題視している。
✅ 本書は、「女の子写真」に関する従来の言説に潜むジェンダー・バイアスを明確に示し、読者自身の潜在的な性差別意識を反省させる。長島は、歴史に組み込まれたムーブメントの根底にある性差別を暴き出し、フェミニズム的な視点を持ちながらも、自身もステレオタイプに影響されていたことを認め、読者に「Wake Up Women!」と呼びかける。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://imaonline.jp/articles/bookreview/20200303yurie-nagashima/長島有里枝さんが「女の子写真」を再解釈した書籍について解説します。
フェミニズムの視点からの分析は非常に興味深いですね。
長島有里枝さんの新著『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』は、「女の子写真」の誤った言説を正し、フェミニズムの視点から「ガーリーフォト」を再解釈する書籍です。
2010年の飯沢耕太郎さんの著書『「女の子写真」の時代』が、長島さんがこの書籍を執筆するきっかけとなりました。
飯沢さんの著書は、古いジェンダー観に基づいた偏見に満ちた内容で、長島さんは「女の子写真」という枠組みで語られてきた女性写真家たちに対する誤解を正す必要性を感じました。
長島さんは、アメリカの大学での学びと上野千鶴子さんの勉強会での経験を通じて、フェミニズムを深く理解し、女性が自尊心を持って自分自身と作品を表現できる社会を目指しています。
新著では、「女の子写真」と「ガーリーフォト」の違いを明確にし、過去の誤った言説を覆していくことで、女性たちの文化に対する理解を深め、女性が自由に自己表現できる世界を目指しています。
「ガーリーフォト」という視点からの再解釈は、とても興味深いです。過去の評価を覆す試みは、新たな視点を与えてくれますね。
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長島有里枝の写真集『Self−Portraits』。セルフポートレートで社会の視線に抗う女性たちの物語。自己イメージ、ジェンダー、そして「女の子写真」のその先へ。