竹久夢二の世界:美人画と女性遍歴、大正ロマンを彩る画家とその作品(?)夢二の美人画、女性たちとの出会い、代表作『黒船屋』
大正ロマンを代表する画家、竹久夢二。少女趣味あふれる繊細な美人画で一世を風靡した彼の生涯を紐解く。日本画への転向、妻たまきとの出会いが生んだ「夢二式美人」、伊香保との深い繋がり…代表作『黒船屋』に込めた想いとは? 夢二の芸術と恋を彩るドラマチックな物語。
💡 竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家であり、その作品は時代を超えて愛されています。
💡 夢二の作品は、美人画を中心に、詩やデザインなど多岐にわたり、その才能を発揮しました。
💡 夢二の人生には、多くの女性たちが関わり、その出会いが彼の作品に大きな影響を与えました。
それでは、竹久夢二の生涯と作品を通して、彼の魅力に迫っていきましょう。
夢二の誕生と画家の道
竹久夢二はなぜ「夢二」というペンネームを使ったのか?
藤島武二への憧憬から
夢二の生い立ちから画家としての道のり、作品に影響を与えた女性たちとの関係について解説していきます。

✅ 竹久夢二の画業をたどる「竹久夢二展」が佐賀県立美術館で開催される。
✅ 夢二は独自の画風で大正ロマンを象徴する美人画を描き、雑誌や画集、グラフィックデザインなど多岐にわたる分野で活躍した。
✅ 夢二の美人画に影響を与えた3人の女性、岸たまき、笠井彦乃、お葉(佐々木カネヨ)の関係や作品への影響について解説する。
さらに読む ⇒佐賀新聞出典/画像元: https://tokushu.saga-s.co.jp/takehisa/news/20230101150000/夢二の画風形成に、女性たちが大きく影響を与えたことが印象的です。
それぞれの関係性が興味深いですね。
竹久夢二は明治17年9月16日に岡山県で生まれ、幼い頃から絵を描くことを好み、中学生時代に雑誌にコマ絵が掲載されたことがきっかけで画家を志しました。
18歳で上京し、雑誌や新聞にコマ絵を描きながら画家の道を歩み始めました。
当初、洋画家を目指していた夢二は、日本画家の川合玉堂との出会いによって日本画の道へ転向しました。
玉堂に師事し、日本画の技法と伝統的な画題について学びを深めました。
夢二は、本名が気に入らず、洋画家の藤島武二にあこがれて「夢二」というペンネームを使うようになりました。
藤島武二のモデルだった佐々木カネヨ(お葉)とも親しく、お葉の姿を多く描いたことから、夢二のペンネームには藤島武二への尊敬の念が込められていました。
夢二の画家としてのルーツや、影響を受けた出来事を知ることができて、とても勉強になりました。
伊香保との出会い
竹久夢二と伊香保温泉の関係は?
深い繋がりがあった
夢二が晩年に求めた理想郷である伊香保と、その地での生活や芸術活動についてご紹介します。

✅ 「夢二と榛名」展では、夢二が晩年に理想郷を求めて度々訪れた榛名山と伊香保での生活と芸術、特に塚越旅館の二女・迪子さんとのかかわりを、手紙や絵画、陶芸などを通じて紹介しています。
✅ 展示では、迪子さんが旧蔵する夢二の手紙や絵画、伊香保の旅館が所蔵する夢二の作品、そして夢二が描いた「南枝早春」など、貴重な資料が多数展示されており、晩年の夢二が「生活の美」を追求した様子がうかがえます。
✅ さらに、夢二が描いた山河の風景画や、陶芸作品、夢二がデザインした盃のデザイン画などを通して、夢二が「生活の美」を志したことを示唆する作品群も展示されています。
さらに読む ⇒両備グループ公式サイト出典/画像元: https://ryobi.gr.jp/message/10874/夢二が伊香保の風景や人々に魅了され、晩年を過ごした様子が伝わってきます。
生活と芸術の融合ですね。
明治44年、伊香保に住む少女からのファンレターがきっかけで伊香保を知った夢二は、大正8年に初めて伊香保を訪れ、その後も度々訪れました。
伊香保の気候、風土、人情に心を寄せ、晩年には「榛名山美術研究所」の建設を構想していました。
夢二は伊香保の美しい風景や、夢二にとって特別な存在であった女性「彦乃」との思い出を重ねていました。
夢二と伊香保の関係は、手紙、作品、そして彼の生涯を通して深く結びついています。
伊香保との出会い、そしてそこで過ごした夢二の晩年の様子を知ることができて、感慨深いです。
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夢二の画風を決定づけた妻たまきとの出会い。繊細な美しさ「夢二式美人」が誕生!代表作『黒船屋』に込められた、恋と芸術の集大成。大正ロマンを彩る夢二の世界へ。