海女文化とは?三重県を中心に受け継がれる素潜り漁の歴史と魅力とは?海女漁が育む伝統と、未来へ繋がる取り組み
2000年以上続く海女文化。三重県鳥羽・志摩の海では、海女たちが伝統の磯着をまとい、素潜りで海の恵みを獲る。子育てを機に海女を選んだ女性たち。アワビを獲る過酷な仕事、受け継がれる技術と精神。古くは神宮への奉納、そして明治時代には真珠養殖へと貢献。現代も息づく海女の文化と、その魅力に迫る。
💡 海女とは、素潜りで海産物を獲る女性たちのことで、2000年以上続く歴史と技術を持つ。
💡 三重県鳥羽市・志摩市を中心に、伝統的な海女漁の技術や文化が今も活かされている。
💡 海女の仕事は、自然と共存しながら、地域の食文化や観光にも貢献している。
それでは、海女文化の歴史、技術、そして現代における取り組みについて、詳しく見ていきましょう。
悠久の歴史を刻む海女文化
三重県の海女文化、その歴史は?
2000年以上
現在では、海女の数は減少傾向にありますが、それらの祭礼・神事は今も大切に受け継がれています。

✅ 神島では、アワビ漁の豊漁と安全を祈願する「御供上げ」や「おけぞこ」、海女漁の無事故を感謝する「うらさま」などの伝統的な祭礼・神事が行われています。
✅ 菅島では、島の守護神である白髭大明神と竜神大明神の使いである白蛇を崇め、大漁と海上安全を祈願する「しろんご祭り」が行われています。
✅ これらの祭礼・神事は、古くから受け継がれてきた漁師や海女たちの信仰と文化を象徴しており、海との共存と自然への感謝の気持ちを伝える大切な伝統行事となっています。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://ama-divers.com/sairei/海女漁は、単なる漁業ではなく、地域社会の文化と深く結びついていることが印象的ですね。
伝統を守りながら、現代の生活に合わせて変化していく姿は、とても興味深いです。
三重県の鳥羽市と志摩市には、古くから海女文化が根強く残っています。
海の博物館の館長によると、海女の存在は少なくとも1000年以上前には確認されており、2000年以上前に遡るという言い伝えも存在するそうです。
かつては御潜神事として、神宮へのお供え物となるアワビを獲っていた海女たちは、現在も現役で活躍しています。
30代前半から海女を始めた三橋まゆみさんは、子育てを機に、自由度の高い仕事として海女を選んだと話します。
海女の仕事は、5キロ程度の重りを付けて、50秒ほどの無呼吸状態の中で、アワビやサザエなどを探して捕獲する、非常に体力的な負担の大きいものです。
三橋さんは、海女は「欲と根性」が大切だと語ります。
海女は、日本で古くから続く素潜り漁を行う女性のことで、2000年以上もの歴史を持ちます。
三重県浦村遺跡からは約3000年前のアワビを採る道具が出土し、万葉集や枕草子にも海女が登場するなど、古くから日本の文化に深く根ざしています。
海女は、皇族や朝廷に食糧を提供する重要な役割を担い、伊勢神宮へのアワビの献納など、神聖な儀式にも深く関わっていました。
明治時代以降は、真珠養殖業の発展に伴い、海女は真珠採りにも従事するようになりました。
御木本幸吉が真珠養殖技術を開発し、海女の知識と技術を活用したことで、真珠養殖業は世界的な産業へと発展しました。
海女という職業が、2000年以上もの歴史を持っていることに驚きました。伝統を守りながらも、子育てとの両立を図る三橋さんの生き方にも感銘を受けました。
伝統と革新が織りなす海女の仕事
海女の伝統的な呼吸法は?
磯笛と呼ばれる口笛
海女漁は、資源を守るための持続可能な漁業であり、その技術や文化を未来に繋げようとする様々な取り組みが行われていることが分かります。
公開日:2020/05/30

✅ 三重県・石鏡の岬で、80歳の現役海女・木村政子さんは伝統的な素潜り漁を続けている。海女漁は、タンクを使わず、漁期を定めることで水産資源の乱獲を防ぎ、自然と共存する仕組みとなっている。しかし、近年では若い女性の都会への流出により海女の数は減少し、伝統が途絶えつつある。
✅ 海女漁の減少を受け、志摩半島では海女体験を生かした新たな試みが始まっている。採れたての海の幸で客をもてなしながら海女漁を語る「海女小屋レストラン」が観光客の人気を集めている。
✅ 海女小屋レストランでは、ベテラン海女たちが漁の経験や伝統を語り、観光客に海女文化を体験させている。しかし、若い世代が海女漁を継承する人が少なく、伝統を守り続けることの難しさを感じている。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/views/b02330/海女の仕事は、体力的に大変な上に、伝統を守り継ぐことの難しさも抱えているんですね。
しかし、海女小屋レストランのような新しい試みは、とても魅力的ですね。
海女は、伝統的な白装束「磯着」を着用し、深く息を吸って潜り、「磯笛」と呼ばれる口笛を吹いて息を吐く独特な呼吸法を用いていました。
現代では、ウェットスーツや一眼メガネを使用するようになり、海女の仕事は変化していますが、伝統的な呼吸法や文化は受け継がれています。
海女は、自然と共存し、自立した女性として、日本の歴史と文化に大きな影響を与えてきた存在です。
三重県伊勢志摩の海女文化は、2000年以上続く伝統的な漁業で、素潜りでアワビやサザエなどの海の幸を獲る女性たちによって支えられています。
海女は、伊勢神宮への奉納や地域のお祭りに貢献してきた歴史を持ち、その強さと自立の精神は、現代でも受け継がれています。
海女は、白い磯着を着て、磯メガネや磯桶などの道具を使い、約50秒の無呼吸で海に潜り、獲物を捕獲します。
海女小屋では、獲れたての海の幸を炭火焼きで味わうことができます。
海女文化は、食文化だけでなく、伝統や地域の歴史、女性の役割など、多くの魅力を秘めており、観光客に人気です。
海女の仕事は、単なる漁業ではなく、自然との共生や、女性の自立を象徴するものであり、日本の文化を形作ってきた重要な要素の一つだと感じました。
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海女の歴史と文化を紹介!貴重な写真や道具を通して、日本の伝統漁業の世界へ。御宿町で開催される「海女の群像展」で、その魅力を体感しよう!